福岡地方裁判所 昭和43年(行ク)12号 決定 1968年11月29日
申請人
李順子
ほか五名
代理人
小泉幸軸
ほか八名
被申請人
福岡入国管理事務所
主任審査官
三島文平
右指定代理人
早田竹次
ほか三名
主文
被申請人の申請人らに対する昭和四三年七月三一日付退去強制令書に基く収容は、当裁判所昭和四三年(行ウ)第八二号退去強制令書発付処分取消請求事件の判決確定に至るまで、これを停止する。
理由
一、申請人らは申請人らに対し昭和四三年七月三一日付でなされた退去強制令書の発付処分取消しの訴えを当裁判所に提起し、当裁判所は申請人らの申請に基き昭和四三年九月一〇日右退去強制令書に基く送還を右本案判決確定に至るまで停止する旨の決定をした。そして申請人ら提出の疎明資料によれば、申請人らは右退去強制令書に基き昭和四三年七月三一日収容され、その内申請人李順子及び同朴松江は同年八月一日期間を定めて仮放免され、それが次々に更新されて現在に至つていることが一応認められる。
二、申請人ら提出の疎明資料によれば、申請人朴恵子は一九五三年九月一一日に生まれ現在一五歳であつて、収容当時北九州市八幡区折尾町蓮地一、五四七番地所在九州朝鮮中高級学校中級部三年に在学中であり、同朴波子は一九五七年八月一二日に生まれ現在九歳であり、右両名は収容当時いずれも福岡市大字金平三八八の三金平団地六棟二号所在福岡朝鮮初級学校の各第五、第三学年に在学中のものであり、申請人朴松江は一九六三年一月一〇日に生まれ現在五歳であることが一応認められ、かかるに少年ないし幼児を収容状態におくこと自体、しかもかかる時期における教育の場を奪うことは正に同申請人らにとつて精神的、肉体的に回復困難の損害であるというべく、右退去強制令書に基く収容により生ずる右回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるものと解するを相当とし、かつ本案について理由がないとみえるときに当らないと考えられるので、同申請人らについて右退去強制令書に基く収容は停止するを相当とする。
三、次に前記疎明資料によれば、申請人李順子は、何時からであるかは別として、その実子であるその余の申請人らと共に本邦に居住し、その後共に不法入国者なりとして退去強制手続が行われ、昭和三八年六月二二日出入国管理令五〇条の規定に基き法務大臣の在留期間一年の条件を付して在留特別許可を受け、その後昭和四二年六月二九日まで在留期間の更新許可を受けたが、その後の更新が不許可となり(申請人朴波子、同朴求鉄、同松江については更新許可の申請がなされていない)、前記退去強制令書が発付されるに至つたこと、ところでその間殊に昭和三九年頃からは、申請人李順子の得る収入を唯一の収入として一家の生計を維持し、昭和四三年二月からはようやく申請人李順子が現住所で念願の朝鮮料理の食堂を経営し始め、生活の経済的基盤を形成したが、その経営は申請人李小夜子の手伝がなければ維持することが困難な状況にあり、かつそのようにして維持されてきたこと、が一応認められる。ところで、同申請人ら以外の申請人らについて前説示のとおり退去強制令書に基く収容を停止するが相当とした場合、かかる少年ないし幼児を放置しなければならないということは正に申請人李順子にとつて回復困難な損害というべく、またその生活を見るためには申請人李順子、同李小夜子による右食堂経営が絶対に必要なことであり、それを放置しなければならないということは正に申請人李小夜子にとつてもまた回復困難な損害ということができ、右退去強制令書に基く収容により生ずる右回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるものと解するを相当とし、かつ本案について理由がないとみえるときに当らないと考えられるので、同申請人らについて右退去強制令書に基く収容は停止するのを相当とする。このことは同申請人らがようやく始めた食堂の経営維持が不可能になることを合せ考えれば、なお更当然であるということができる。(中池利男 山口茂一 川上孝子)